考えていること

5月5日の「端午の節句」について考えてみた

5月5日は「端午の節句」

男の子は、毎年5月5日になると「5月人形」や「こいのぼり」を飾って楽しんできました。
我が家でも小さい頃は「弁慶」と「牛若丸」の人形を飾っていました。確かミカン箱くらいの大きさの人形が2体で、結構大きかったように記憶しています。

うちは兄弟3人とも男子だったので、5月5日が近づくと盛大に祝うことがありました。
田舎だったので、幼稚園から小学校に上がる頃は、4月中頃からこいのぼりを上げて、五月人形を飾り、楽しい思い出です。

由来は?

楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340頃~前278頃)という政治家がいました。詩人でもあった彼は、その正義感と国を思う情が強く、人々の信望を集めていました。しかし屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
その時の想いを歌った長編叙事詩「離騒(りそう)」は中国文学史上、不朽の名作と言われています。故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。

楚の国民達は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし、さらにちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。その日が中国の年中行事になり、へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。
これは今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始まりとも言われています。

人々の生きるための切実な思いが、端午の節句が生まれた理由でしょう。

端午の節句とは?

日本の端午の節句は、奈良時代から続く古い行事です。端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではありませんでした。
しかし「午(ご)」と「五(ご)」の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて5月5日のことになった、とも伝えられます。

当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄を避けるための行事がおこなわれていました。この日に薬草摘みをしたり、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸した酒を飲んだり、という風習がありました。
厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたようです。
※こうげつ人形より引用

今では・・・

子供がいないので、こいのぼりを上げたり、兜を飾ることはないですが、柏餅を食べてお祝いします。よもぎ、粒あん、いちごと種類が豊富で楽しませて頂きました!
それでは、また。